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2024.6.10
▼春の奈良・吉野を訪問。
・友人たちとです。
・2024.4.10-13 walk
・2024.6.9 最初のアップ
7
▼春の奈良・吉野を訪問。
・友人たちとです。
・2024.4.10-13 walk
・2024.6.9 最初のアップ
01 map
02 奈良まで
03 長谷寺
04 吉野山
05 秋篠寺
06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺
08 法華寺
09 元興寺
10 興福寺周辺
11 京都:三十三間堂など
【 01 map 】
▼第1日:長谷寺〜大和高田 map
・長谷寺でのカメラトラブル。
大和高田で対応。奈良の宿へ。
▼第3日:佐紀路 map
・秋篠寺から盾列古墳群を通り
・海龍王寺、法華寺まで歩く。
・その後は元興寺、興福寺宝物館。
▼第4日:三十三間堂 map
・最終日は京都に立ち寄る。
・三十三間堂、養源院、智積院。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 02 奈良まで:東海道新幹線 】
▼東京発ひかり号
・東京発6:21 新大阪行
・12号車に乗る。
▼三島のあたりから富士山
・箱根山の斜面越しに見える。
・桜と新緑と残雪。
▼三島の少し先から富士山
・左傾斜のラインは絶妙だ。
・北斎になった気分。
▼富士市のあたり
・東海道側では最も均整がとれている
・上の写真とは右傾斜が微妙に違う。
▼南アルプス
・富士川の手前から。
・特定しにくいが、南ア南部。
・右が赤石岳、左が聖岳?
・右が荒川岳、左が赤石岳?
▼富士川鉄橋
・こちらは東海道新幹線鉄橋。
・向こうは東海道本線の鉄橋。
・平氏はこちらに陣をおいたのか。
▼天竜川
・浜松市の手前。天竜川。
・天竜川、諏訪湖から流るる大河なり。
▼白山?
・岐阜羽島の手前に白い山。
・これは初めて。白山?能郷白山?
▼伊吹山
・関ヶ原をすぎると伊吹山。
・ここは東西の境。
・山容も間違えることはない。
▼伊吹山
・新幹線は早すぎて撮影に不向き。
・シャッター速度優先でもブレる。
▼北陸道分岐
・米原手前。
・カーブして越前をめざす自動車道。
・かような写真に興味のある人はいるのか。
▼北陸本線分岐
・米原の先。
・カーブして越前をめざす在来線。
▼湖東の平野
・手前は麦か。
・室町時代には最も進んだ農業地域。
・ここで惣村が発達した。
・近江八幡の近く。
・だとすると後方の山は比良山系。
▼比叡山?
・野洲のあたり。
・比叡山とは断定できない。
・山容が三角形で整っている。
・調べてみよう。
・京都で乗り換えて、JRで奈良へ。
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04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 03 長谷寺 】
▼長谷寺
・さて長谷寺再訪と思いきや。
・カメラのトラブル。
・ここからはiPhone。
▼仁王門
・長谷寺の総門にあたる。
・それほど人は多くない、
▼登楼
・長い登楼だが、さほど苦にならない。
・レンズが心配で、心中穏やかにあらず。
▼登楼の左側
・左側に急坂が見える。
・これがまた風情がある。
▼登楼の左側
・まるで城下町だ。
・ここを登りたいぞ。
・だが心中に余裕なし。
▼登楼
・ともかくも上に本堂をめざす。
・登楼はここで曲がる。
▼長谷寺伽藍
・上から見下ろす長谷寺の伽藍。
・やはりここは山の中。
▼鐘楼
・本堂にたどりついた。
・有名な鐘楼。左が登楼。
・ここで友人たちと別れ、レンズ修理に。
▼登楼の左側
・急いでいるのに見逃せず。
・おだやかな春の情景。
▼第1日:長谷寺〜大和高田 map
・私はカメラトラブルのため、
大和高田へ行き、そこから奈良に戻る。
・本隊は桜井線で奈良に戻る。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 04 吉野山 】
▼第2日:吉野山 map
・第2日は吉野の山を歩く。
・初めての訪問。しかも春。
▼吉野川を渡る
・第2日は吉野山へ
・3月後半が寒く桜は遅れた。
・運のよいことに桜の吉野山。
・ハプニング、タクシーで吉野川を渡る。
・写真は下流の和歌山方面。
▼牛頭天王社
・もう奥千本の近く。
・けっこう上までタクシーを使った。
・おかげで混雑を追い越してしまった。
▼高城山展望台
・最初の桜か。
・ここまでくるとちょうど満開。
▼ミヤマツツジ
・高城山から奥千本をめざす。
・ふとピンクのツツジ。
▼ミヤマツツジ
・下から見上げた。
・どうもミヤマツツジとのこと。
▼遠くに奥千本の桜
・これがいちばんうれしかった。
・遠くの山にサクラの塊り。
▼奥千本口
・金峯神社は後でまわろう。
・人が来ないうちに、西行庵へ。
▼西行庵
・西行は晩年の3年間をここで過ごす。
・ほんとかねえ。
・金峰山寺からここまでも半日はかかる。
▼西行庵周辺
・吉野の桜の最上部にあたる。
・植樹をしているのだろう。
▼西行庵周辺
・山での桜は、背景が緑の方がいい。
・奥山の雰囲気がここちよい。
▼金峯神社への分岐
・分岐まで戻る。
・あとは下るだけなので気楽だ。
▼井戸
・斜面に井戸がある。
・仏像は井戸を守護するようだ。
▼吉野水分神社
・三方を囲まれた境内。
・山の斜面だからだろうか。
・とても雰囲気のよい神社でした。
▼吉野水分神社
・安産、子育てに霊験があるそうだ。
・正面に「子守大明神」の額。
・その下は鏡だろうか。
▼吉野水分神社
・入口の鳥居。これは風情がある。
・とても好ましい。
▼花矢倉展望台
・水分神社の少し下、吉野随一の展望所。
・この位置から下を見たかった。
・入江泰吉さんのすてきな写真があった。
・ここは上千本にある花矢倉展望台。
▼花矢倉展望所
・上の写真と同じようには見える。
・次の桜は中千本。
・金峰山寺のあたりが下千本。
▼花矢倉展望所
・金峰山寺の蔵王堂が見える。
・けっこうな高度感だ。
・遠くに二上山も見える。
・満開から少し過ぎた感じがよい。
・でもまだ先は長そうだ。
▼花矢倉展望所
・同じようだが微妙に違う。
・少し下ったところから。
▼世尊寺寺跡
・まさかあの世尊寺?
・藤原行成の系統を世尊寺流という。
・日本書道の絶頂期をつくる。
・後日調べたら、行成とは関係なさそう。
▼中千本
・もう桜も終わりかけている。
・その分グラデーションがよい。
▼さまざまな桜
・適度に間隔が空いている。
・歩道の反対側の斜面。
・これは好みです。
▼ツツジ
・ここだけツツジが咲き誇る。
・サクラよりはっきりした色だ。
▼金峰山寺から見上げる
・もう金峰山寺までたどり着いた。
・振り向けば中千本から上千本。
・奥千本はそのはるか先のほう。
・ここでは、もう人が多い。
▼金峰山寺蔵王堂
・吉野の寺といえば金峰山寺。
・蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ規模。
・木像建築物としては二番目に大きい。
・現存の堂は16C末に秀吉の支援で再建。
▼蔵王堂
・金峰山寺の本尊を安置する。
・蔵王堂の青い蔵王権現像。
(金剛蔵王権現)
・修験道で最も大事な仏。
・しかも青くて大きな仏像。
・中央の釈迦如来像が7m超。
・両脇の2体の像が約6m。
・青の巨像はあまり例がない。
・しかし秘仏ならしかたあるまい。
・役行者は、全国の山々を開山した後に、吉野で三十三度の修行を重ね、山上ヶ岳(金峰山:大峯山)で一千日の修行をした。すると柔和な顔をした釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましになったが、役行者はこれでは衆生を救えないとして、さらに祈念を続けた。すると天地鳴動して憤怒の形相をした荒々しい御仏が現れた。そこで役行者はその姿を山桜の木に刻み、祀ったとされる。
・これが金峰山寺と金剛蔵王権現像の由来である。(金峰山寺HP)
▼蔵王堂
・現在、仁王門(国宝)が大修理の最中。
・そこにある金剛力士像(阿形と吽形)は
奈良国立博物館で公開されている。
・大修理が終了するまで展示される。
・どうも私は誤解していたようで、
・前述の青い金剛蔵王権現はこの時期に
開帳されていたようだ。
・金峰山寺で開帳の掲示を見たのだが
・疲労と先を急いだためパスしてしまった。
・その時は並ぶ気はしなかったが。
・金剛蔵王権現と金剛力士像の混同。
・今、調べていくうちに少し悔いる。
・同行の友人たちには申しわけない。
▼蔵王堂
・さすがに山中にあるせいか
長谷寺の同様の構図より消耗している。
・またそれが味わい深い。
▼黒門
・金峰山寺の入口に黒門がある。
・吉野山全体の総門にあたるらしい。
・吉野から大峰山系に行く関所だ。
★それにしても、私にとって吉野とは、まず大海人皇子が逃れた地であり、天武・持統朝で行幸が続いた場所(もちろんそれは吉野川沿いの宮滝)だ。 ついで藤原道長が納経した場所で、さらに後醍醐天皇が逃れ、高師直が焼き、南朝が興亡したところなわけだが。
★何よりも修験道の聖地であり、大峰山系をたどって熊野に至る出発点でもあることが実感できた。
▼吉野山ロープウェイ
・運よくすぐに乗れた。
・さほど長くないが、坂道の短縮。
・僥倖である。
・現存する最古の索道とのこと。
・開業は昭和4(1929)年。
世界恐慌の始まった年だ。
・ここは吉野山(山上)駅。
・乗車3分。約350mの区間。450円。
・到着は下千本駅。
▼再び吉野川を渡る
・近鉄吉野線の吉野川鉄橋から。
・下流の和歌山方面を望む。
・和歌山県に入ると、吉野川は紀ノ川に。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 05 秋篠寺 】
▼佐紀路 map
・第3日は佐紀路を歩く。
・秋篠寺から盾列古墳群を通り
・海龍王寺、法華寺まで歩く。
▼秋篠寺
・8:30にたどり着いたが、まだ入れない。
・そこで周囲を散策することにした。
▼秋篠寺
・周囲を歩く。全く人がいない。
・なりゆきにまかせよう。
▼苔むす境内
・このあたりは地面が苔に覆われる。
・とても趣がある。
▼苔むす境内
・苔のじゅうたんが広がる。
・イメージは唐招提寺のそれと重なる。
▼マキ
・真言宗の寺にはマキがある。
・高野槙という言葉もあるくらいだ。
▼秋篠寺
・まるで山奥のような樹林。
・参道の脇のようす。
・何の木だろう。
▼ツルニチニチソウ
・ジャン=ジャック・ルソー
「あっ、ツルニチニチソウだ」
(『告白』第6巻 )
・出会うととてもうれしい。
▼八所御霊神社
・はっしょごりょう神社。
・秋篠寺の鎮守社として創建。
・いずれも奈良時代のことらしい。
・境内を清掃している地元の方。
・毎朝のことでとてもきれい。
・写真からもわかるように、禅寺の石庭のようだ。
▼八所御霊神社
・非業の死を遂げた貴人を鎮魂する。
・鎮魂の対象者を書き写してみる。
・本神社は祭神として
・火雷大神
・崇道天皇(早良親王)
・伊予親王
・藤原広嗣
・文屋宮田麻呂
・吉備大臣
・橘逸勢
・藤原夫人
・八柱の御霊を奉斎す
・知らなかったが「八所御霊」というものがあり、平安時代以来、疫病や天災をもたらすものとして恐れられた八座の御霊神とするらしい。
・平安時代の貴族たちは、不合理なできごとをおこさぬように、非業の死を遂げた人たちを必死に鎮魂したらしい。「悪うございました。お願いだから祟らないでください」
・8名について、簡単に説明しよう。
・火雷大神(ほのみかづちのおおかみ)は、黄泉国でイザナミの遺体に生じた雷神の一つ。菅原道真が雷神とされたことにも関係ありそう。
・早良親王は桓武天皇の同母弟。皇太子に立てられたが、長岡京での藤原種継暗「殺事件を理由に配流され、その途中で絶食して憤死した。その前後の事件や災害は早良親王の祟り」とされ、怨霊を鎮めるために「崇道天皇」と諡された。
・伊予親王は桓武天皇の皇子で、平城天皇(安殿親王)・嵯峨天皇(神野親王)の弟にあたる。平城天皇により、母の藤原吉子(藤原夫人)とともに、飛鳥の川原寺に幽閉され、飲食を断たれた結果、母子ともに自害した。伊予親王の変という。
・式家の藤原広嗣は、藤原四子の死後、740年に玄昉と吉備真備の排斥を求めて大宰府で挙兵したが、敗死した。藤原広嗣の乱というが、この影響は大きく、聖武天皇は平城京を離れ彷徨することになる。
・文屋宮田麻呂は筑前守として赴任中、唐・新羅との交易をめぐり贈賄を得たとのことで843年に告発・投獄され、配流地の伊豆国で没した。のちに無実であったとされる。
・橘逸勢は842年の承和の変(嵯峨上皇没後の政変)で失脚し、伊豆国に流罪となり、途中で没した。藤原良房による他氏排斥の例とされる。ちなみに橘逸勢は嵯峨天皇、空海とともに「三筆」とされ、弘仁・貞観文化の唐風文化の重要人物でもある。
・吉備大臣は吉備真備のこと。地方豪族出身で、遣唐使として入唐し玄宗に評価され、帰国後は右大臣にまで出世した。広嗣の乱の標的になる。その後も朝廷で重用され、藤原仲麻呂により一時的に左遷されたくらいで、奈良時代を要人として生き延びる。この点では非業の死を遂げたわけではない。
▼八所御霊神社本殿
・手入れが行き届き、立派です。
・好感のもてる神社に出会った。
▼八所御霊神社本殿
・お賽銭を投入。
・鐘も鳴らさせていただいた。
▼狛犬:阿形
・向かって右側の狛犬。
・口を開いているから阿形。
・玉砂利をきれいに掃いている。
▼狛犬:吽形
・向かって左側の狛犬。
・口を閉じているから吽形。
・良い顔をしている。
▼秋篠寺東塔跡
・東塔の礎石らしい。
・やけに密集しているとは思った。
▼東塔跡
・手前の礎石はとても大きい。
・中心の柱を支えたのだろうか。
▼本堂
・この本堂は、元は講堂らしい。
・金堂(本尊を収める)は現存しない。
・技芸天はここにある。
▼本堂
・技芸天は芸能の神だ。
・とても柔らかい表情をしていた。
▼本堂
・簡素なつくりだ。
・新薬師寺にも通じるものがある。
▼大元堂
・大元帥明王像(秘仏)を安置。
・「たいげんみょうおう」と読む。
・毎年 6/6 に公開される。
・2mを超える大きな仏像らしい。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 06 佐紀盾列古墳群 】
▼佐紀盾列古墳群へ
・「さきたたなみ」と読む。
・秋篠寺から東に海龍王寺をめざす。
▼菜園
・いろいろな話をしながら歩く。
・空間に余裕がある。
・黄色は菜の花。手前はラベンダーか。
▼神功皇后陵
・右は神功皇后陵とされる。
・五社神古墳(ごさしこふん)
・狹城盾列池上陵
(さきたたなみいけのうえのみささぎ)
・墳丘長は267m(12位)でかなり大きい。
▼五社神古墳
・このあたり(佐紀盾列古墳群)には
径200mにおよぶ前方後円墳が多い。
・しかも多くは周濠をもつ。
・天皇陵(準ずる墳墓)に比定されている。
・実際にはヤマト政権の有力者の墳墓。
・だから大王の可能性も高いが、
・それ以上のことはわからない。
・天皇陵クラスだと宮内庁の管理。
・様式は見事にシンプルで
・前方部に石造の鳥居と囲いがある。
・注意書きは三箇条のみ。
(次の写真を参照)
▼五社神古墳の掲示
仲哀天皇皇后神功皇后
狹城盾列池上陵
一 みだりに域内に立ち入らぬこと
一 魚鳥等を取らぬこと
一 竹木等を切らぬこと
宮内庁
これが全てである。シンプルでよい。
▼五社神古墳
・神功皇后は次のことで知られる。
a 朝鮮への出兵
b 応神天皇の母
・仲哀天皇の存在が否定的なので
神功皇后の存在も疑わしい。
(もちろん天皇号は7C以降)
・ただ何らかの対応するできごとはあろう。
・謎の4C(300年代)ではあるが、
4C末の倭と高句麗との交戦は確認できる。
・大王については5C後半のワカタケルから遡る。
武はワカタケル大王(雄略とされる)
478年、中国南朝への遣使は確か。
・したがって5C「倭の五王」も確認できる。
・最初の讃を仁徳(オホサザキ)とし、
その父の応神(ホムダワケ)も確度が高い。
墳墓でいうと、少しエリアが違うが。
・そこでその母(神功皇后)のことになる。
・が、今はここまで。
▼近鉄特急
・京都へ向かう特急。
・申しわけないがスズメバチのよう。
・平城駅のすぐ北の踏切。
・写真に角度がついた。
▼佐紀石塚山古墳
・佐紀石塚山古墳は全長218m。
・宮内庁は成務天皇陵とする。
▼ムスカリ
・こんなところにムスカリ。
・園芸植物なのにめずらしい。
・知っている花だとうれしいものだ。
▼古墳の道
・大きな古墳の間を歩く。
・これは初めてのことだ。
・右は佐紀石塚山古墳
・左は佐紀陵山古墳
▼古墳
・古墳には入れない。
・しかし水濠は身近。
・のどかすぎる。
・右は佐紀石塚山古墳
・左は佐紀陵山古墳
▼佐紀石塚山古墳
成務天皇陵とする
狹城盾列池上陵
一 みだりに域内に立ち入らぬこと
一 魚鳥等を取らぬこと
一 竹木等を切らぬこと
宮内庁
これが全てである。シンプルでよい。
▼佐紀陵山古墳
・さきみささぎやま
・墳丘長207m
・垂仁天皇皇后狭木之寺間陵。
・さきのてらまのみささぎ。
・日葉酢媛命陵(ひばすひめ)
・何と大正期に盗掘を受けている。
・その時の記録では
後円部の円頂に大きな方形壇。
・巨石で囲まれ、天井にも大石。
・露出した竪穴式石室なのか?
・きわめて特異なケースらしい。
・見てみたいものだ。
(日本文芸社『古墳図鑑』による)
▼佐紀陵山古墳の周濠
・大きな周濠だ。
・日葉酢媛命陵(ひばすひめ)とされる
▼佐紀陵山古墳の周濠
・おそろしいものが。
・目が合ったら寄ってきた。
・外来種のカメである。
・とてもたくましそう。
▼山上八幡神社
・佐紀古墳群に隣接する八幡神社。
・誉田別命ホムダワケノミコトを祀る。
・16Cの村社で、古墳と関わりはない。
▼佐紀のローソン
・十字路に現れたローソン。
・冷たいものが飲めるのはうれしい。
▼市庭古墳
・平城天皇陵とされる。
・ここは平城宮のすぐ北方。
・墓が奈良に在ることはよかったね。
・恨みはいっぱいありそうだが)
◎平安初期政治史
・光仁 ・・・ 天武系断絶後に即位
・桓武 ・・・ 平安遷都 794
・平城 ・・・ 桓武没後即位
藤原式家の重用
南都に戻りたい
不安定、退位(太上天皇)
・嵯峨 ・・・ 嵯峨は平城の弟
810 薬子の変(平城太上天皇の変)
藤原北家(冬嗣:蔵人頭)
嵯峨の下で政治は安定
平安京は確立する
(奈良に戻る可能性はなくなる)
▼平城宮跡
・今回は平城宮跡の北をかすめる。
・ほんとうに広い空間。
・よく残ったものだ。
▼貯水池のシラサギ
・大きな貯水池を過ぎると、
・法華寺のエリア。
・佐紀古墳群東陵のあたり。
・すると池を睥睨するシラサギ。
・魚を狙っているのか。
▼貯水池のシラサギ
・獲物を見つけたのか、
・我々を不審に思ったのか、
・突然離陸した。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 07 海龍王寺 】
▼佐紀路 map(再掲)
・第3日は佐紀路を歩く。
・秋篠寺から盾列古墳群を通り
・海龍王寺、法華寺まで歩く。
▼海龍王寺
・海龍王寺の山門。
・真言律宗佐保山とある。
・藤原不比等邸宅 → 光明子相続
・聖武光明はいくつ寺を建てたのだ。
▼海龍王寺
・玄昉のもたらした海龍王経に由来
・南都六宗の律宗が
・鎌倉期に叡尊により真言律宗に。
・江戸時代には幕府の庇護があり、
・かの廃仏毀釈で大打撃を受けた。
▼本堂
・新薬師寺本堂を連想させる。
・同じような様式か。
・これはiPhoneで近づいて撮影。
▼本堂
・デジタル広角で距離をとって撮影。
・ちょっと色合いが違う。
・こちらの方が自然かな。
▼境内の庭
・静かな空間。
・この日は奈良公園は人出だろうに。
・緑のグラデュエーションがよい。
▼本堂
・この先から中に入る。
・中には十一面観音菩薩立像。
・鎌倉期、慶派による精巧な仏像。
▼五重小塔
・右は本堂。左は西金堂。
・ここに国宝の五重小塔がある。
・西金堂は奈良時代の建造物。
▼五重小塔
・海龍王寺HPによれば
・国内最小の国宝建造物
・国内最小の五重塔(国宝)
・確かにミニチュアだ。
・屋内で見て拝むための建物らしい。
▼クスノキ
・だと思うのだが。
・良い空間をつくりだしている。
▼スミレ
・だと思うのだが。
・Google Lensによれば。
・ムラサキサギゴケというのだそうだ。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 08 法華寺 】
▼法華寺
・海龍王寺の先に法華寺。
・こちらの方が有名だが。
・やはり人はいない。
・8C奈良時代、総国分尼寺。
・法華滅罪之寺。
・海龍王寺と同様にもと不比等邸宅。
・娘の光明皇后の宮でもあったらしい。
・741 国分寺建立の詔『続日本紀』
僧寺には廿僧 金光明四天王護国之寺
尼寺には十尼 法華滅罪之寺
(武蔵国国分寺HP)
・東大寺が総国分寺だとしたら
法華寺が総国分尼寺ということか。
・でもこれは何宗になるのだろう。
・奈良時代の寺はまた別かもしれない。
・ここには光明宗と記されている。
・門跡(もんぜき)
・皇族公家が住職を務める寺院
・光明宗は律宗
・律宗は南都六宗の一つ 唐招提寺など
・平安時代には衰退
・鎌倉期に叡尊の真言律宗として活動
・現在は唐招提寺以外は真言宗が管轄
▼本堂
・十一面観音菩薩立像を安置。
・開帳は4/7までであった。
・法華寺HP(本尊)
・やわらかい印象だ。
・建物は1601年の再建。
・淀殿(秀吉側室)の寄進。
光明皇后御創建
総国分尼寺
法華滅罪之寺
光明宗 法華寺
・これが法華寺の名称の定義か。
▼庭園から見た本堂
・おもしろい構図になった。
・池の向こうに屋根の全景。
▼法華寺
・これは何だったのだろう。
・友人たちは興味を示していた。
▼法華寺
・のどかな境内のようす。
・著名な寺でもこのような感じ。
・奈良と京都の違いかもしれない。
・いやあ奈良らしくていいです。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 09 元興寺 】
▼元興寺
・今度は元興寺に移動。
・昼過ぎだったので腹ごしらえ。
・ならまちの手打ちそば。
・準備中とあったが入れました。
▼元興寺
・元興寺は、もとは飛鳥の法興寺。
(現在の飛鳥寺、釈迦如来像あり)
・平城遷都後に奈良に移転。
・ずいぶん大きな寺域をもつ。
・南都七大寺の一つ。
・現在の元興寺エリアは極楽坊。
・奈良時代のは十倍くらい広い。
・南都六宗のうち法相宗、三論宗。
・平安遷都後、次第に衰えていく。
▼本堂
・戦後、荒廃していた建物を修復。
・平城京を感じさせる雰囲気だ。
▼本堂と禅室
・ここから飛鳥の瓦が見える。
・少し色合いが違う箇所。
▼本堂と禅室
・同じ写真を使用して説明する。
・明確に異なる。
▼禅室
・7Cの瓦の部分に注目。
・こちらはより明確。
・7Cの飛鳥から8Cの平城京へ。
・そして今は21Cの奈良。
▼本堂
・元興寺がたどった歴史は他と違う。
・平安以降も藤原氏の氏寺として栄え、
・また中世の荘園領主として、
・僧兵を抱えた寺院勢力として歩んだ
興福寺とは比べるべくもない。
・しかしこのような形で残っている。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 10 興福寺周辺 】
▼奈良ホテル
・奈良ホテルでコーヒーを。
・ということで元興寺から東に向かう。
・賓客が宿泊することで著名なホテル。
▼クスノキ
・これは大きな楠。
・左右非対称なのがめずらしい。
▼奈良ホテル
・正面の玄関。
・古都を意識したつくりだ。
・左側にバスがあったため故の構図。
▼奈良ホテル
・和風の旅館を感じさせる。
・一本の桜が満開。
▼奈良ホテル
・これが有名な景観か。
・左に駐車した車があった。
▼奈良ホテル
・玄関の照明。
・形は違うが東大寺の灯篭を連想。
▼奈良ホテル
・ここから喫茶室へ向かう。
・外国人観光客が多い。
・さてコーヒーを ・・・ 。
・価格を見て退散した。
・力負けというべきか。
▼奈良ホテル
・古都の旅館のたたずまい。
・しかも桜の季節。
・でも泊まることはないだろう。
・景観ありがとうございました。
▼奈良ホテル
・大乗院エリアの庭園風景。
・奈良ホテルが高台に位置していた。
▼興福寺大乗院跡
・興福寺の塔頭の一つ。
・塔頭(たっちゅう)とは別院など。
・室町期の重要史料に大乗院日記。
・大乗院に伝来した記録集。
・興福寺の僧尋尊は大乗院の門跡。
・尋尊は関白一条兼良の子。
・かの正長の徳政一揆の史料
正長元年九月、一天下の土民蜂起す。
徳政と号し、酒屋、土倉、寺院等を
破却せしめ、雑物等恣に之を取り、
借銭等悉く之を破る。管領これを
成敗す。凡そ亡国の基、これに過ぐ
べからず。日本開白以来、土民蜂起
これ初めなり。「大乗院日記目録」
▼長池から興福寺五重塔
・国道を奈良公園方面に歩く。
・長池を隔てて興福寺五重塔。
春日大社一ノ鳥居
・春日大社参道に達する。
・ここが春日大社の入口。
・本殿までは相当に長い。
▼猿沢池から興福寺五重塔
・一の鳥居から左折して興福寺。
・猿沢池から五重塔の有名な景観。
▼興福寺国宝館
・かろうじて入場時間に間に合った。
・興福寺八部衆立像が見たい。
・阿修羅像だけでなくいろいろある。
・来られなかった友人に絵葉書を買う。
(五部浄像が好みだそうだ。)
・私は沙羯羅像が気になる。
・ちょっと怖いのは迦楼羅像。
▼南都銀行本店
・三条通りをJR奈良駅方面へ。
・南都銀行本店は歴史的建築物。
・経営状態も悪くないようだ。
・掲示の NISA が NARA に見える。
・今日は一日よく歩いた。
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04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など
【 11 三十三間堂など 】
▼第4日:三十三間堂 map
・最終日は京都に立ち寄る。
・京都駅から徒歩で三十三間堂。
・養源院、智積院をめぐり京都駅へ。
▼木津川
・最終日はJRで京都へ。
・途中、木津川を渡る。
・木津川は南山城を流れる大河。
▼電気軌道発祥の記念碑
・これが最初の電車らしい。
・京都電気鉄道株式会社による。
・1895年、日清戦争終結の年だ。
▼鴨川
・京都駅に荷物を預け三十三間堂へ。
・ゆっくり歩いても30分で着く。
▼三十三間堂
・赤いのが三十三間堂。
・南側からこの門をくぐる。
▼三十三間堂
・いつ見てもすばらしい。
・修学旅行生や外国人観光客が多い。
・一瞬人が途絶えた。iPhoneで撮影。
▼三十三間堂
・東側の中央部。好みのポイント
・なぜ長大な瓦は落ちないのだろう。
▼三十三間堂
・南側から。一部工事中らしい
・横長の要素が消えている。
▼三十三間堂
・西側に回る。
・弓を射たのはここの廊下。
・数々の競技の記録は屋内に。
▼三十三間堂
・三十三間堂は蓮華王院
・後白河上皇に寄進した天台宗の寺院。
・なのに「南無阿弥陀仏」を刻む墓。
・法然に関わるらしい。
▼三十三間堂
・友人によれば源平という桜。
・平清盛の寄進にかかる蓮華王院。
・近年に植えた桜だろうが源平とは。
▼養源院
・三十三間堂の向かいに養源院。
・浅井長政の菩提を弔う。
・最初に建てたのは秀吉側室の淀殿
・長政とお市の長女。
・しかし養源院は程なくして焼失。
・再建したのは淀殿妹のお江。
・将軍徳川秀忠の正室。
・東福門院(和子)と家光の母。
・1621年の再建、伏見城の遺構を使う。
・それで「血天井」というわけだ。
・すでに豊臣氏と淀殿は亡く、
・和子が後水尾天皇に入内した翌年。
▼養源院
・これがいちばんよく撮れた写真。
・本堂には、俵屋宗達の白象の板絵。
・そして血天井と鳥居元忠。
▼養源院
・正面には葵の御紋。
・徳川の寺なのかと思う。
・しかし織田、豊臣、徳川に由来。
▼智積院
・養源院から智積院に向かう。
・とても近い。
・目的は長谷川等伯。
▼智積院
・智積院は真言宗豊山派総本山。
・以前に等伯「楓図」を見に来たが。
・暗かったのか、印象が予想と違った。
▼智積院宝物館
・新装なった智積院宝物館。
・長谷川等伯「楓図」
・長谷川久蔵「桜図」
・これらを良い環境で見たい。
・とてもとてもよかったです。
▼京都国立博物館
・智積院からすぐ京都国立博物館。
・東博では開催しない雪舟展。
・さすがにもう集中力がない。
・レンガの建物は片山東熊の設計。
・東熊や辰野金吾はコンドルの弟子。
・赤坂離宮旧東宮御所(迎賓館)
・東博表慶館、奈良博本館とここ。
▼七条大橋と鴨川
・七条大橋で再び鴨川を渡る。
・京都駅まで歩いて戻る。
▼鴨川
・鴨川はなかなか風情があるぞ。
・川幅も案外に広い。
・鴨も見える。
▼七条大橋と鴨川
・流れの早いところを撮影。
・行きに渡った塩小路橋が見える。
▼高瀬川
・予期していたがここで高瀬川。
・高瀬川といえば角倉了以と森鷗外。
・江戸初期に鴨川沿いに河川を開鑿。
・これが京都の水運に役立った。
・いわば小運河である。17C前半。
▼高瀬川
・これだけの川幅なのだが。
・物資の運搬にとても便利。
・西廻り海運で各地から大坂へ。
・大坂から淀川沿いに遡上。
・京都で高瀬川経由で町に運搬。
・使われた規格の小舟が高瀬舟。
・森鷗外「高瀬舟」はすばらしい。
・江戸時代の罪人を運ぶ際の物語。
▼ヱビスバー
・京都駅まで歩いてきたら遭遇。
・タイミングといい僥倖である。
・新幹線にはまだ時間がある。
01 map 02 奈良まで 03 長谷寺
04 吉野山 05 秋篠寺 06 佐紀盾列古墳群
07 海龍王寺 08 法華寺 09 元興寺
10 興福寺周辺 11 京都:三十三間堂など