7 こあらHP:武蔵国赤塚城址   
21901 赤塚城址

info

 2023.2.1

▼板橋区の赤塚城址を訪れました。
・2021.9.30 午前です。
・東武東上線成増駅に行ってから行き先を決めました。
・このようないいかげんな散策がけっこう好みです。

contents

【 map 】

★赤塚城址の位置(作図1)

赤塚城址のおおよその位置
・池袋が起点。東武東上線で成増駅へ
・成増駅から西高島平駅をめざす。
・その途中に赤塚城址がある。
・原図はAppleのmap

 

★赤塚城址の位置(作図2)

赤塚城址のおおよその位置
・池袋が起点。東武東上線で成増駅へ
・成増駅から西高島平駅をめざす。
・道なりに歩いて行くと氷川神社。
・東へ坂を下ると赤塚城址があった。
・首都高5号線をくぐり西高島平駅へ。
・原図は地理院地図。白黒にした。

 

【 成増駅から北へ 】

▼成増駅北口
・池袋から東武東上線に乗る。
・行き先未定。成増まで行こう。
・とりあえず北口に出た。

▼掲示板
・これはいいきっかけになった。
・赤塚城址を発見。
・そこを越えて西高島平駅まで歩こう。

 

▼仲のよいハト
・北口に2羽のハト発見。
・つい反応してしまう。
・手前がハトA 、奥がハトB。

 

▼上赤塚公園
・住宅地の中に公園あり。
・普通の公園、今は人がいない。

 

▼板橋区の農園
・公園の反対側に畑あり。
・これはサトイモ。
けっこう広い。

 

▼成増駅北口
・少し行くと大きな樹木。
・ケヤキとあったが、形が違わないか。
由緒ある樹木とのこと。

 

▼氷川神社
・さらに行くと鳥居あり。
・石柱には氷川神社。
しかしずいぶん長い参道です。

 

▼参道
・けっこう長い。住宅地の参道。
・関東各地にある氷川神社。

・ところで関東各地にある「氷川神社」
大宮の氷川神社が総鎮守にあたるらしい。
・平安時代の延喜式にも記載されている。
・ということは律令国家の承認を受けている。
・祭るのはスサノヲの系統。

 

▼赤い鳥居
・ここからが境内か。
・よく整備されている。

 

▼本殿
・新しそうな本殿。白黒にしてみた。
・現代の神社も悪くない。

 

▼狛犬
・なかなかいい面構えだ。
・あんまり睨まないでね。

 

 

【 赤塚城址 】

▼下り道
・神社の脇道を下る。
・右上が赤塚城址か。
左は公園。建物は公衆トイレ。

 

▼下ったところは分岐
・正面はこんな感じ。
・右側は森になっています。
・大きな
犬を連れたご婦人に話しかけられました。
・どこにいらっしゃるのですか。
・城址へ行ってみようと思いまして。

・正面の民家風の建物は歴史資料館とのこと。
・右側からの道から登っていく。

 

▼城址をめざす
・意外な景観。
・車道から離れ、小道に入る。

 

▼城址をめざす
・右側に大きく迂回して、左上に登る。
もちろん誰もいない。

 

▼赤塚城址
・最上部はこんな感じ。
・ここに本丸などがあったらしい。
まるでちびっこ広場だ。

 

▼赤塚城址本丸跡
・板橋区史跡とある。
・東京都区内とは思えず。
中世後期から近世初頭にかけての山城。

 

 

▼説明板
・板橋区教委の説明文。
・享徳の乱から記載が始まる。
室町後期から戦国期にかけての関東は、とんでもない状況になる。
・少し整理してみよう。

▼まず機構
室町幕府 ・・・・・・・ 鎌倉府
 (京都)    (鎌倉)
・征夷大将軍 ・・・・・ 鎌倉公方
・義詮の子孫 ・・・・・ 基氏の子孫
管領が補佐 ・・・・・ 関東管領が補佐
 (細川ら三管領) (上杉)

▼永享の乱
困った将軍 ・・・・・ 困った鎌倉公方
 (6代義教)  (足利持氏)
・いずれも強権的で、エキセントリック
・くじびき将軍 ・・・ 自分がなりたかった
・守護大名抑圧 ・・・ 将軍に従わない
・持氏を関東管領(上杉憲実)が諫める
・ここから始まったのが永享の乱

・持氏は敗北、後に義教も殺される

▼ここまでの理解
1428 将軍義教正長の徳政一揆
      永享の乱
      結城合戦:内紛の継続
1441 嘉吉の変嘉吉の徳政一揆

享徳の乱
古河公方 ・・・・・ 堀越公方
 (成氏)   (政知)

・依然として混乱は続く
・鎌倉府の再興:鎌倉公方足利成氏
・成氏と関東管領らの対立抗争
・成氏は鎌倉から古河に逃れる(古河公方)
・幕府から派遣された足利政知も鎌倉に入れず、伊豆の堀越に滞在する。
・これを堀越公方をする。
・この間の経緯は複雑怪奇で、とうてい記載することはできない。
・この乱だけでも30年近くに及ぶ。年代を覚える必要もない。
・15世紀後半のこと。
・その間に、京都で応仁の乱がおこる。

 
その後
・関東の混乱は決定的になる。
・両公方や上杉氏の勢力も衰退していく。
・16世紀には、伊豆・相模の北条、甲斐の武田、越後の長尾(上杉)ら有力戦国大名の勢力争いが続く。
 ↓
・最終的には、1590年、豊臣秀吉が小田原城を攻略して北条氏を滅し、そこに徳川家康を封じたときに、初めて関東は安定する。

 

19itabashi/1901akatsuka/aka18.jpg" width="1200" alt=""/>▼赤塚城址説明文(再掲)
・上記の経緯を踏まえる。
・武蔵国の領主(国人:在地領主)千葉氏。
赤塚城は中世後期から近世初頭にかけての山城。
・享徳の乱前後の混乱、千葉氏は太田道灌に従い、混乱の関東各地を転戦する。
・その千葉氏(武蔵千葉氏)の拠点が赤塚城。
・16世紀には北条氏の勢力下に入る。
・徳川氏の支配下では、もはや城ではなくなる。

 

▼城址からの下り
・高島平方面に向かい急坂を下る。
・短いがかなりの下り。
池らしい地形が見えそう。

 

▼池
・赤塚城址の北面にある池。
・釣人もいた。

 

▼池
・後方のこんもりした森が城址。
・中世の砦の規模である。
いやあ、望外によかった。

 

 

【 高島平へ 】

▼首都高5号線
・池袋から埼玉県に向かう高速道路。
・城址とは、全く別の景観。

 

★赤塚城址の位置(再掲)

赤塚城址のおおよその位置
・赤塚城址の北側に池がある。
・首都高5号線をくぐり西高島平駅へ。

 

▼中央卸売市場トラック入口
・ここは高島通り。
・鉄道(地下鉄)は都営三田線。
・左手奥に中央卸売市場が位置する。
・トラックが頻繁に出入りしている。

 

▼西高島平駅
・高島通り沿い。
・上は首都高5号線。
こんなに目立たない地下鉄入口は珍しい。
・都営三田線の終着点です。
・三田線の開通した時は覚えている。
・高校2年生でした。当時の終点は高島平。

 

▼高島平
・高島平の高層住宅群です。
・三田線車中から撮影。
人口増加期に建設されました。

 

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