7 こあらHP:J941 豊後竹田 岡城址   
J941 豊後竹田・岡城址

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 2024.4.25

▼豊後竹田:岡城址の景観
2014.8 の訪問
・2021.8.15 page制作

contents

2014竹田市(大分県)訪問
たけた」です。豊後竹田と通称。

 

【 岡城趾 】

▼豊後竹田:岡城址
・大分県竹田市の山城。
・故あって訪れた時は、強い雨、誰もいない。
・ここは山の上の城跡、けっこう野趣がある。
・雨の廃城は、時間が止まったかのようだ。
 カラー 白黒

 

▼入口
・駐車場から車道を上り、分岐へ。
・雨はかなり強いが、その代償に人はいない。
・無人の山城に登るなど、何という幸運か。

 

▼広い坂を登る
・幅広い坂、本丸跡をめざす。

 

▼階段
・途中から階段になる。
・雨はますます強い。

 

▼石垣
・階段の途中から、城壁の石垣を見る。
・きつい傾斜に合わせた石組がみごと。

 

 

▼石垣(白黒)
・白黒だとこんな感じ。

 

 

【 岡城の上部 】

▼山城の上部
・坂を登り切り、上部に達する。
・けっこう広い。

 

▼全体像の理解
・説明図の左端が駐車場。
・ここにレンタカーを止めて坂を登る。
・岡城は尾根の上に立地しているようだ。
・しかもけっこう高度差がある。

 

▼城郭の遺構
・本丸であったかどうか、失念した。
・このような遺構がいくつかあった。

 

【 熊沢蕃山 】▼熊沢蕃山
・全く意外なものに出会った。
・江戸前期の儒学者。著名な陽明学者。
・岡山藩主池田光政に仕え、郷学閑谷学校を主宰したことで知られる。
・前期の名君と儒学者の登用で知られる。
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・蕃山先生は陽明学者であったので、どうしても人や組織と衝突する。
・そのため、幕府を批判したかどで赤穂に流された。
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・孔子に始まり、漢代以降、中国歴代王朝を支える理念となった儒学は、仏教の影響を受け、宋代に高度に発展した(宋学)。
・その主流は「性即理」の考えで、南宋の朱熹により大成された(朱子学)。
・ところがこれに対立する「心即理」の考え方があり、南宋の陸象山から明の王陽明に受け継がれていく(陽明学)。
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・陽明学は主体性を重視するもので、「知ることは行うことである」という「知行合一」の考えに至る。
・それゆえ、現状の秩序に対して、どうしても反発する方向に向かう。
・江戸後期、天保の大飢饉に際会した陽明学者大塩平八郎は、蔵書を売り払って決起し、すぐに鎮圧された。
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・なぜ岡城跡に蕃山先生を顕彰する碑が建てられたのか。


▼秋の気配
・雨の中、ほんのわずか秋の気配。
・城跡によく似合う。

 

▼本丸
・こちらが本丸の跡だった。
・尾根の最も高いところに登るわけだ。

 

 

【 滝廉太郎 】

▼荒城の月
・こちらは予想された石碑。
・文字を判読できるように極端に補正した。
・滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞「荒城の月」。
・歌詞自体は仙台や会津の城に由来する。
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・曲をつけた滝廉太郎は東京音楽学校の学生。
・滝による「荒城の月」1901年や「花」(春のうららの隅田川:1900年)の旋律は、西洋音楽を受容した早い事例である。
・彼は豊後国に関わりが深く、竹田小学校で過ごした時期に、石垣だけが残る岡城跡に登ったそうである。cf. 富山城にも関係があるらしい。
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・「荒城の月」は、土井晩翠の詞が先にあり、懸賞がついた中学唱歌の応募作品らしい。
・滝廉太郎が旋律を着想する際のイメージには、豊後竹田の岡城跡があまりにぴったりだ。
・現在でも、よけいなものはとても少ない。「山城の原型」を保つ貴重な遺構である。

 

▼樹皮
・雨の日こそ樹木のようすは印象的になる。

 

 

▼城跡の景観
・いつまでも変わらない景観なのか。

 

▼石の質感
・石は堅牢な材質である。
・あたりまえか。

 

▼断崖の上
・下から見上げた岡城。
・かような崖の上に築城した。
・薩摩の軍勢も、大友方のこの城を落とすことはできなかった。

 

【 豊後竹田駅 】

▼豊後竹田駅
・JR豊肥線の豊後竹田駅。
・学生の時、ずいぶん長い自転車ツーリングをして、ついにここで断念した。
・今度はここを起点に、自動車で移動してみようというわけである。
・それゆえ訪れた岡城跡があまりによかったのは、望外の喜びであった。

・熊沢蕃山や滝廉太郎について触れたが、ほんとうに考えるべきことは、なぜこのような城郭(山城)が造られたかである。
・中世末期から近世初頭に至る軍事の問題と、近世の統治について、この廃城はいろいろなことを示唆してくれる。

 

▼1987年の豊後竹田駅
・古い写真です。
・トリミングしたので妙な構図。
・時代は昭和末期。
・長い自転車ツーリングを終えた時。

 

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