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2025.5.3
▼八日市、今堀を歩く
2025.3.12 walk
・近江行き第1日:計4名
▼八日市、今堀を歩く
2025.3.12 walk
・近江行き第1日:計4名
【 map 】
▼今堀日吉神社map
・今堀日吉神社には特別な文書群が残る。
・日本の村の原型である「中世の惣村」
・村落共同体である惣村には厳しい掟がある。
・村掟の代表的な文書は、近江の神社に残る。
▼作図して理解する ・・・ 関連記事は後述
・自分でもよくわからなかったので作図。
・街道は概略(正確ではない)
・まず東海道と中山道を確認する、
・ついで八風街道と御代参街道。
・そして「八日市」の重要性を確認。
【 今堀日吉神社 】
▼今堀日吉神社
・それなりの規模はあるが、村の鎮守である。
・境内はきれいに維持されている。
・中世の惣村の文書は、ここに大量に残る。
・この神社を訪れる人は、まずいないであろう。
・同行3人は、私の意向を快く受け入れてくれた。
▼鳥居
・鳥居の右側には「日吉神社」
・ひよし神社だが、ひえ神社とされることもある。
・周囲はごく普通の孤島の水田地帯である。
・付近は延暦寺領の荘園で「得珍の保」という。
・保は、公領における単位で、郡、郷、保が併存。
・得珍保は今堀を中心に七ヶ村で構成される。
・鎌倉中期以降、農業生産の発展に伴い、惣村が形成されていく。
・それ以前は荘園や公領内の田地に隣接して居住していた。
・しかし農民が結合を強めることで、領主に対して一定程度自立し、また生産を高めることができるようになった。
・惣村は、農民が耕作地から離れて狭いエリアに集住した。水田などの耕地は居住地から離れ、共同作業を通して水田への灌漑や農耕作業を行った。また周辺の森などを共同利用地を保持した。これを入会地という。
・このような村落共同体としての性格を強めるために、祖先の弔いや祭りなどが重視された。また村には必ず神社や寺があった。結合の中心は神社の宮座で、「おとな」と呼ばれる宮座の構成員がリーダーとなって村を主導した。
・結合を守るために、村掟(惣掟、村法)という厳しいルールがつくられ、これを破るものは村から罰せられ、また排除された。
・高校の日本史教科書:中世「惣村の形成」には、必ず村掟の史料が取り上げられるが、ことごとく今堀日吉神社のものである。
定 今堀地下掟の事
合わせて延徳元年己酉十一月四日 ※1489年
一 薪・すみは惣のをたくべし
一 惣より屋敷請候て村人にて無なき者置くべからざる事
一 他所之人を地下に請人候そうらわで︑置くべからず候事
一 惣の地と私の地とさいめ相論は金にてすますべし
一 惣の森にて青木葉、葉かきたる者は、村人は村を落とすべし、村人にて無者は地下をはらうべし
一 家売たる人の方より、百文には三文ずつ、壱貫文には卅文ずつ惣へ出すべき者なり。この旨を背く村人は座をぬくべきなり
一 家売たる代、隠くしたる人をば罰状をすべし
一 堀より東をば屋敷にすべからず者なり
(今堀日吉神社文書)
▼本殿の手前
・ここは集会場ではないだろう。
・しかし、このような場所に惣百姓たちが集まったのだろうか、と想像することは可能であろう。
・
▼本殿
・奥が本殿にあたる。
・文書はここでは閲覧できない。
▼保内商人の庵室跡
・延暦寺領荘園(得珍保)の商人たちは、この神社の庵室を拠点としていた。
・彼らは、荘園内の営業活動を保障されていた。
・関係文書も神社に保存されていた。
▼庚申塚
・ずいぶん敷地をとっている。
・ゆったりした庚申塚だ。
・江戸(東京)の庚申塚はみな狭い。
▼鳥居
・村の神社のレベルではない。
・室町惣村の伝統があろうか。
01 今堀日枝神社map
02 今堀日枝神社
03 八日市駅周辺
【 八日市駅周辺 】
▼延命湯
・夕食前に八日市駅周辺を散策。
・左側の細い道から、ここに出た。
・実に楽しそうな銭湯だ。
▼延命湯の飛び出し坊や
・飛び出し坊やの汎用性はすばらしい。
・手首にかかるはロッカーの鍵。
・東近江市八日市の駅近く。
▼川に降りる
・延命湯の先から清水川に降りる。
・読み方は「しゅうずがわ」
・付近の地名としては「しみず」らしい。
・近江八幡で見たような光景だ。
▼川奉行よりのお達し
・蒲生郡小脇郷澤堀
さらへ氏度出来候上者土砂塵芥一切掃込申間敷候
惣而澤川筋麁抹之儀仕間敷候
違乱之者於有之者可為曲事者也
享保十四己酉 二月 川奉行
・左側の「要約」では
蒲生郡小脇郷澤堀を浚へたるについて、毎度出た土砂又はゴミは、一切澤堀へ掃込まない。
総べて澤川筋は粗末にしてはならない。
違反したものがあった場合は処罰をする 。
・今堀で触れた惣村のルール(惣掟)と似ている内容だ。
・享保14年だから、江戸後期(18C前半)
・これは川奉行とあり、どこの藩領なのか。
・調べてみると、どうも彦根藩らしい。
・惣村の発達とともに確立した地域のルールを、行政が取り込んでいった結果といったら踏み込みすぎであろうか。
・調べてみると、清流を取り戻す事業「清水川湧遊プロジェクト」の成果でもあるらしい。なるほど。
▼対岸に渡る
・コンクリートの簡易な橋。
・日常生活には欠かせない。
▼清水神社
・川から上がったところに神社。
・やはり集団の結節点は神社か。
▼左いせ街道
・八日市は御代参街道と八風街道が交わる交通の要衝。
・八日市の名称は周辺農村を含む市に由来するが、一方では宿場町でもあった。
・御代参街道 中山道の裏街道
(東海道の土山宿と中山道愛知川宿)
・八風街道 近江と伊勢を結ぶ
・左 いせ ひ乃 みな口 道
・右 京 むさ 八まん 道
▼左いせ、右多賀
・左 いせ ひ乃 みな口 道
・右 多賀 ゑち川 ひこね 道
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▼文政丙戌冬
・文政丙戌は1826(文政12)年。
・異国船打払令の翌年。
・1830年代の天保年間になると天保の大飢饉が始まる。内憂外患がけんよになっていく時期だ。
▼作図して理解する
・自分でもよくわからなかったので作図。
・街道は概略(正確ではない)
・まず東海道と中山道を確認する、
・ついで八風街道と御代参街道。
・そして「八日市」の重要性を確認。
・近江商人の発生にも関連する。
▼薬師寺
・先ほどの清水神社の神宮寺らしい。
・「神宮寺」は神仏習合による。
・額田王の長歌があるとのこと。
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りにそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我れは(『万葉集』巻一 16)
天智天皇が、春山の花と秋山の紅葉のどちらがよいかを、藤原鎌足に問うたとき、額田王が歌をもって判定したとのこと。長歌だけで反歌はない。
額田王は、手に持って賞美できる秋山をよしとした。
★ちなみに、上記「冬ごもり ・・・ 」の長歌に続けて、「味酒三輪の山 ・・・ 」(17-19)が続き、
さらにかの有名なやりとりの歌(20-21)が続く。
「あかねさす紫野行き標野行き ・・・・・ 」(額田王)
「紫草のにほえる妹を憎くあらば ・・・ 」(大海人皇子)
これは天智が、群臣を従えて蒲生野の狩りをしたときの歌で、現在では折口信夫の言うように宴会における座興のやりとりとされる。巻一は雑歌であることからもわかる。
これは『万葉集』屈指の名歌である。とりわけ「あかねさす」の響きがすばらしい。
ところでこの蒲生野は、ここ八日市の近く(現在の東近江市)と推定される。667年に天智や大海人、鎌足や額田王(さらには大友皇子や鸕野讃良皇女もいたかもしれない)たちが、近江大津宮からこのあたりにやってきて、狩猟を楽しむ光景は、その数年後の展開(672年の壬申の乱)を考えると、とても興味深い。
▼八日市の本町
・駅の近くにアーケード街があった。
・その「本町商店街」の一角に、なつかしい「塩」の看板。
・その下にはお榊を備えたお宮。
・そして柱には「御代参街道」の表示。
・ここに住む人たちの誇りを感じた。
01 今堀日枝神社map
02 今堀日枝神社
03 八日市駅周辺
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